タンカについて

タンカとはチベット語で、字義的には軸装された絵という程の意味である。あらゆる場面においてチベット人の生活に仏教が浸透している様は、私たち日本人には信じがたいほどである。すなわち絵=仏画なのであり、タンカとは「仏画」と翻訳して差し支えない。仏画に限らずほとんどの宗教画は、描くものが好き勝手に、想像力を駆使して描くものではない。従わなければならない規則というものがある。描かれる内容そのものが宗教的象徴であって、そこに意味があるからで、それゆえ模写というのが基本的な姿勢となる。

チベットではタンカは僧侶や信者が修行として行う瞑想を助けるために描かれることがほとんどで、チベット仏教の特色として、密教に関する教えが多いため、タンカに描かれる尊像にはかなり厳しい規則がある。各々の尊像の形、手の印相、さらには体の色、その他ほとんどすべてのものに暗示=象徴された意味が込められているためである。

 タンカを習得する者にまず課せられることは「釈迦牟尼仏」の線描きである。釈迦が仏教の開祖として、最も篤く信仰されているからであり、図像的にもさまざまな尊像の基本となる完璧な体形であるからである。補助線が入った手本を師匠から渡され、その通りの尊像を正確に描き写すことを練習する。この線描きは基礎であると同時に、仕上げの段階でも非常に重要な技術となる。何事であれそうであるが、基礎的なことをしっかり身に着けていないと、いい作品の完成には至らない。

彩色を許されるのは、この線描きが一人前になった後のことで、少なくとも一年程度はこればかりやらされる。師の満足が得られるまでに上達すると、徐々に難しい尊像の練習に入る。このようにして、あのチベット仏教に独特の、手・足・頭がたくさんあり、恐ろしい形相をした本格的な密教の尊像にまで作画修行を続けるわけである。

描かれる尊像にはたくさんの種類がある。

如来、菩薩、守護尊、守護神、羅漢、曼荼羅、などがある。このうち曼荼羅は特殊な部類に属し、絵師が下書きを描くことはない。キャンバスであれまた檀上であれ、曼荼羅の下書きの線画は、僧侶が描く。下書きが普通の尊像よりもさらに厳格に規定されていることもあるが、この線描きを描くという行為が、僧侶の修行の一環であるためである。ただ、私自身は自分で描くことができる。幸運にも、ダライ・ラマ法王の直属の寺院であるナムギャル寺で曼荼羅を教えていた先生〈彼も僧侶であった〉と友達であっったため、彼からその描き方を教わったからである。

師チャンパ・ラもそうであったように、一般の絵師は線描きが終わったキャンバスを僧侶から渡され、それに色を付ける作業から始める。師が曼荼羅を描くときは、いつもの自宅ではなく、寺院内で仕事をしていたのを思い出す。曼荼羅が秘儀とされていたためだろう。

 タンカ絵師は、依頼されて初めて仕事にかかる。これには、チベット仏教との深いかかわりがある。修行者である僧侶は各々、師から決められた尊像を観想することが求められるが、その修行の手助けとしてタンカが用いられる。

いっぽう一般の俗人は、家族や身近なものが亡くなったとき、その魂がより良い生まれ変わりとして転生するようにと祈願する四十九日の法要の際に、タンカを用いる。死者の魂の守護尊が星占者によって選定され、その尊像のタンカを仏壇に飾る。ほかに無病息災などの祈願のために、それ用のタンカを使って法要が営まれることもある。

このため依頼される尊像にはどうしても偏りがあり、同じ尊像を繰り返し描くことが多くなる。私のように自分で選んだ尊像を依頼も受けないのに描くようなチベット人絵師はいない。異国人の私にはビザの期限もあり、なるべく多くの異なった尊像を学び、異文化の人々に見せたいという思いから、依頼を受けることをあまりしなくなった。まあ、身勝手と言われればそれまでの話だが、普通のチベット人絵師が描くことがあまりないような作品を残すことができた。


 タンカで使う絵の具は主として岩絵具である。これを膠と混ぜて筆を使って描く。これは伝統的な日本画、日本の仏画と同様だが、特別な技法で用意された綿本に描く点がタンカ独特である。現在の多くの絵師たちは、アクリルとかポスターカラーなどを使っているようだ。岩絵具が高価で、これを使う技術が難しいためだが、私自身は、初めて見せられた師の絵で最も強烈な印象を受けた、あの鮮やかな岩絵具の色彩に今でも拘っている。

様々な規制があるが、絵師たちに全く自由が許されていないわけでもない。背景に描く風景、雲、水、山、花、などは作者が自由に描く。羅漢図や天女のようなものには、その姿形に若干の自由性が残されている。もっと顕著なことは、尊像の顔である。実に多くの補助線が引かれており、違った顔を描くのはほとんど不可能とも思えるが、実際に絵師たちが描く顔がそれぞれ特徴的なのには驚くばかりである。タンカ全体の色調の違いも、各々を比べてみると明らかに異なる。このような絵師たちの特色がでるからこそ人間が描く意味があるので、そうでなかったなら印刷複製画で構わないわけである。

制約がある中での限られた自由、この自由をいかに使うかによって、出来上がった作品は千変万化する。絵師になるなど夢にもにも思わなかった、決して想像力が豊かとはいえぬ私のようなものにとっては、細かな規則と限られた自由の組み合わせからなるタンカの作画仕事は、まさにうってつけの天職と言えようか。

背景の自由に関して、チャンパ・ラとの思い出がある。まだ彼が存命中、私が制作中のタンカに北斎風の波を描き、彼に見せたことがある。チャンパ・ラはその波を指さし、さも満足そうな笑みを浮かべていた。おそらく彼は、このような斬新さを好んでいたのだろう。

 故郷に戻り十年余りの月日を過ごした現在、私はタンカの技法に基づいて、日本的な要素を融合させようと試みている。これからも、新たな絵画表現を探求し続けようと思う。