【2】菩薩

 タンカの優品は現在欧米諸国の美術館・博物館に多数所蔵されている。いや、むしろチベット本土よりもその数は多いかもしれない。私は欧州へ行った時はよく美術館・博物館を訪れ、そこに収蔵されているチベット関係の美術品を探すことを楽しみとしている。
この作品集に載せられている私のタンカは、それらの場所で手に入れたカタログなどを参照に描いたものが数多くある。それというのも、インド・ネパールに難民として逃れてきたチベット人達の手元には、タンカの古い優品がほとんど残っていないからである。難民として逃れてきた彼らの現実には様々な面で悲劇が伴う。

これがチベット文化圏で普通にみられる「表装されたタンカ」の形式である。この表装につかった生地は、私の師の死後、彼の残された妻から渡されたもので、彼らがチベットから逃れ出たときに持ち出してきた貴重なものだ。


八難救済図

 この二枚のタンカ[15][16]はいずれも八難救済図である。それぞれの主尊が異なってはいるが、意味することは同じである。緑多羅菩薩は、日本人にはあまり知られていないが、チベット人には非常に親しまれている菩薩である。これは、多羅菩薩がチベットでは数少ない女性の菩薩であることにも関係しており、彼らは新しく生まれた女の子に、多羅のチベット語読みである「ドルマ」と名付けることが多々あることからもそのことがわかる。

一方、観音菩薩はよく知られた菩薩で、この多羅と観音の両菩薩はいずれも、人々が困難に苦しんでいるときに彼らに祈願すると、救いの手を差し伸べると言い伝えられている。