【7】日本様式の仏画

[タンカ]の欄でも述べたが、仏画といわれるものには一般に事細かな規則がある。しかし、また一方では、ある程度の自由さが認められている余地もある。それを最大限発揮できるところは尊像の背景であろう。もともと絵画が嫌いでもなかった私は、積極的に教わることはなかったが、様々な種類の絵に興味があった。そのなかでも日本画は、その繊細さ、色彩の美しさなど、特に私が好んでいた種類の一つで、インドを旅していた時も、日本で集めた即席のお茶漬けの袋に入っていた広重の版画のおまけなどを、音楽のカセットテープのケースに入れて旅していたことを思い出す。

十年余り前に日本に戻ってきたわけだが、私のそ興味は変わってはいなかった。特に関心が向いたのは琳派や狩野派、それも特に金箔を使った表現方法である。チベット・タンカには金箔を使った表現はない。というよりもチベットには金箔を作る技術がなかったのであろう。折角金箔が手に入る日本に戻ってきたのだから一つ試してみようと思い立ち、七、八年ほど前から試作を始めた。キャンバスも綿地だけでなく、絹や紙にも描いてみた。様々な試行錯誤の末、何とか作品らしきものができ上っていった。

ここで紹介する数点の作品はいずれも私が日本に戻ってから描いた作品で、描かれている尊像は正確に儀軌に沿ったものである。ただ背景が、普通目にするタンカとは大きく異なり、かなり日本的なものになっている。これをタンカと呼べるかどうかは少し疑問であるので、ここでは和蔵折衷の「仏画」とだけにしておこう。

飛天

日本で飛天と呼び慣わされている存在はチベットには正確にそれと相当する尊格がいない。空を飛ぶ女神としてはダキーニが存在するが、これは日本では羅刹女と訳されており少々悪魔的な要素が含まれているので、同体とは言えない。また飛天のような付随的な尊格には厳格な規定がなく、表情や身体のポーズなどには絵師のある程度の自由な創造性が認められる。日本でのよい例は、宇治の平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀仏の周囲を荘厳している飛天たちである。

次に紹介する二点は、タンカとは言えず、これらは私の創作画である。もっともその中の一点は、チベットの伝統的な仏伝図のなかに小さく描いてあった天女を参考にし、それを単独の尊像として扱ったものである。