【6】守護尊・曼荼羅

これから紹介する数枚のタンカは、チベット仏教の真骨頂とも呼べる多面・多臂の守護尊と呼ばれる尊像で、いずれも密教の無上瑜伽タントラに属する。これは四つあるタントラのクラスの中で最も上級とされるもので、この段階の修行に至るまでには実に長い年月が必要とされる。それとともに、各尊像に相応する曼荼羅も複雑になるのは次に観るとおりである。

ここっでは、各尊像とそれに関連する曼荼羅とを比較しやすいように、見開きのページそれぞれを掲載する。

守護尊(イダム)とは日本では聞きなれない言葉であるが、チベット仏教の修行者は各自の性格・特性によって師から適当と思われる密教経典の灌頂を授けられ、その本尊が各々の守護尊となる。

ここでは主に無上瑜伽タントラの尊格を紹介するが、タントラには四つの種類がある。所作・行・瑜伽・無上瑜伽で、いずれにも守護尊がある。顔の表情により寂静相・忿怒相そして準忿怒相の三種があり、女性尊もいる。その内容から、父タントラ、母タントラの区別もある。

図像的には曼荼羅の構造は幾何学的で建物の設計図に似ている。その構造は実に数学的で、コンパスと定規だけで描けるようになっている。一般的な構造では、正方形で作られた聖域である宮殿の中に主尊を中心に尊像郡がおり、その宮殿を蓮弁が取り巻き、さらにそれを防御する役割を担う金剛杵と火炎の輪、一番外には八つの墓場の場面が描かれる場合もある。

なお[28]から[33]で紹介した三体の尊像は、特にゲルク派で修行に用いられ、三大守護尊とされており、三体を総称して「デ・サン・ジク・スム」と呼ばれている。本ホームページの「作品カタログ」に守護尊の分類で掲載されているのでご参照されたい。クリックはこちら(別ウィンドウで開く)

私が始めて描いた曼荼羅は、カーラチャクラであった。師のチャンパ・ラに、曼荼羅を描きたいと申し出た折、彼は私に無地のキャンバスをもってくるように言った。翌日、キャンバスを持っていくと、彼はそれを置いていくように伝えた。

それから数日後にそれを取りに行った時には、そのキャンバスに鉛筆で下書きの線が描かれていた。その線はナムギャル寺(ダライ・ラマ法王の直属の寺院)の僧侶が描いたものだった。その後は、普段は目にしない同じ曼荼羅がお寺の壁にかかっていたので、それを参考に彩色をはじめ、完成したと思われるとき、再びナムギャル寺の僧侶に、細部の確認を依頼し、それが了承されて初めて完成となった。このように曼荼羅には厳格な規則があり、それらは我々普通の絵師があずかり知れないことである。